2013年08月08日

全国が富士山色に染まった

「富士には月見草がよく似合う」と、太宰治が『富嶽百景』の中で述べた有名な言葉です。
今年の6月22日に富士山さんが世界文化遺産に登録された。その日の夕方からは地元の二つの自治体はじめ、テレビ局もマスコミ報道も採り上げ日本中が大フィーバーlace embroidery patches、c。ちょうど梅雨の最中の出来事であった。

小説『富嶽百景』を読んでいると、太宰は富士山には興味がなかったようだ。当時も今も庶民にとって富士山は日本のシンボル的な山でした。昔から大晦日から元日の早朝から富士山に登って山から見える太陽を拝んでいました。また何処の銭湯にも富士山の絵が描かれ、それを見ながら一日の身体の疲れを癒していました。

ところが彼は違っていた。当時の人々のように拝むことも歓声を上げることもなかった。感覚で言えば遠く離れた地方にすんでいるような感覚ではないだろうか。地方に住んでいる人々は、毎日、見ることはなく旅行や絵葉書を見て知る程度の知識しかなく歓喜を上げ酔いしげることはありません。だから太宰が便所に入って小便をしながら普通の感覚で遠くにある高い山を見る程度のことだったと思える。日本一の山でも興味を示すことはなくproperty in malaysia 、遠く離れた地方に住んでいる私と同じような感覚で見ていたと思う。

だが我われと違うのは、彼は富士山について深い造詣があったようだ。その証拠に絵師の広重や文晁、北斎の書いた富士山の絵を見て頂角が実物と違うと指摘していた。また当時の陸軍の作った実測図をも丹念に調べた形跡もあり、これを小説の詳しく紹介しています。

ところが太宰が次第に心に魅かれたのが、仕事で富士山の近くの街で長逗留した時に移動するバスの中で老婆がぼんやりと言った言葉だった。「おや、月見草。」と言って道端の黄金色の月見草を指差したことからです。その場面を小説の中で「富士には月見草がよく似合う」と言う有名な言葉が生まれました。それは彼にとって心が揺れ動いた瞬間でした。心境が変化した彼は「眼前の富士の姿も、別な意味をもつて目にうつるnuskin group。」と述べています。そう言った心境の変化は有りながらも心は何時も揺れ動いていた。

話しは変るが太宰が見たのは黄金色した月見草です。しかし植物辞典を調べると、この花は夕方の咲き始めは白色であるが、翌朝のしぼむ頃には薄いピンク色に変化します。太宰が言った黄金色の月見草を調べると待宵草ではないだろうか。黄色は黄金色にも見えることからも待宵草を月見草と呼んだに違いない。以来、小説の中で書いた待宵草は月見草と呼ぶようになった。


Posted by Aminy at 12:45